三井量光氏主宰俳句誌「椅子」第47号発刊さる
令和8年4月1日
東濤会会員三井量光氏が主催している俳句誌の「椅子」が47号を迎えた。
2ケ月毎の発行をひたすら続けてきた。その間に句を集め、推敲し、印刷会社との
やりとり、自分の仲間たちとのやりとり等々沢山の事をやり遂げてきたのだから
その努力には頭が下がる。私は投句された句が読めないときが多々ある。
私はその都度辞書を引いて理解するのだがせいぜいで言葉の上っ面をなでる
程度の理解である。
三井氏の場合は私とは違い、沢山の投句の句の中の語の一つ一つの裏に
込められたものを引っ張り出して相手が納得できる形で説明しなければならな
いのだからその大変さはとても大きいものがあると理解している。
毎号本誌が私の所に届くたびに安堵と称賛の気持ちが沸き上がる。
では椅子誌47号の内容を抜粋の形で紹介していこう。





















次からが好評で掲載されている読み物です。
実は私が一番興味・関心を持って読んでいるのがこのページです。
私たち山形市民がもう忘れ果てている町の巷に着いて筆者のち密な
記憶力と資料と筆力で親しみやすい文体で語ってくれています。
特に花柳界の世界は一般の人が入り込めない世界であるので私たちは
何も分かっていない。しかしこの業界の人間たちが世の中を明るく活気
ある世界に育ててくれたことは大きな事実であります。
今回は特にあの白洲次郎と山形の関係に関して記してくれているがこれは
山形の貴重な一つの歴史的事実でありましょう。
この中の記述に白洲次郎氏が「ののむら」の大女将や芸者さんたちをつれて
鶴岡の八久和ダムの現場を訪れたことの記述があるが白洲次郎という人間が
ただ者ではなかったのだなと改めて感じた。
やはりこれくらいの度量がある人間でないとあの戦後の大混乱の中でGHQを
相手に大立ち回りなど出来なかったと思う。
それにしても私も八久和ダムに行ったことがあるが今行っても危険な道で
あの戦後の十分な交通機関が無い時によくぞ行ったものだと思うし、
ついていった女将たちも偉かったと改めて思う。






いよいよ後記です。今回は特に目についたのが熊の捕獲についての部分です。
こんなに沢山処理されていたとは改めて驚きました。
とにかく本誌は本当に幅広い領域に関する情報誌だと改めて感じたところです。
戻る